About us Homedoorとは1ページでわかるHomedoor

選択肢なんてなかったんや。
ホームレスになる以外な。

ここでは、ホームレス状態に陥った
20代男性Mさんと
Homedoorの
出会いを軸に活動を紹介していきます。

 

1ページでわかるHomedoor

Scene.01

親からの虐待を逃れるため早く実家を出ようと、高校卒業後すぐに契約社員として住み込みできる工場に就職。しかし、ブラック企業で深夜まで働くこともしばしば。虐待の影響からもともと精神的にしんどさもあり、ついに朝、起きられなくなった。



うつ病と診断され、すぐに寮を追い出されるが、そもそも給料が安く、ずっとギリギリの生活だったので貯金はない。もちろん実家には頼れず、家を借りるような時間もお金もなく、保証人になってくれる人もなく、少ない手持ち金でひとまずネットカフェに泊まることにした。
生育環境調査

Scene.02

次の仕事を見つけようと面接に行くも、なかなか決まらない。そのうち携帯料金が払えなくなり、電話が止まった。仕事の面接に行っても「電話がないと雇えない」と言われた。



所持金もどんどん減っていき、ネットカフェに泊まるお金も底をついた。役所に相談に行くも、「生活保護申請するなら、虐待を受けていても扶養照会しないとは言いきれないよ」「若いから働けるでしょ」「家がないなら生活保護は受けられないよ。施設に入るしかない」と言われた。しかし、施設での集団生活は虐待時のトラウマから行けそうになく、諦めてしまった。  
寝泊まりした場所

Scene.03

もう死ぬしかないと自殺を試みるも、死にきれない。野宿をする選択肢しか残されていなかった。ただ、路上で寝るのは怖くて、死に場所を求めるように一晩中歩きつづけた。昼間は公園や図書館で過ごし、夜はやみくもに歩く。睡眠をとらない生活をしばらく続け、体力も気力も限界に達していた。



なりふり構わず、野宿をしている人たちが何人かいるところで、自分も真似して寝てみることにした。『路上は硬いし、すごく冷たい。』 そう思ったけど、必死に目をつむった。疲れていたからすぐ寝られると思ったのに、道行く人の足音が想像以上にうるさくて、全然寝付けなかった。

相談時の所持金

Scene.04

少し野宿に慣れて、路上で寝ていたある日、「こんばんは。夜回りをしています。お弁当を持ってきました。」と声をかけられた。



ホームレス状態でも働ける日払いの仕事があることや、Homedoorが運営する個室で泊まれる宿泊施設「アンドセンター」へ行けば、生活の相談や宿泊が無料でできることを教えてもらった。



貧困ビジネスかもしれないと心配になったが、周りのホームレスの人も「あそこは大丈夫や」と教えてくれたし、もともと「死んでもいいや」と思っていたくらいなので、とりあえず話を聞きに翌日、事務所に行った。



Scene.05

アンドセンターの扉をたたくと、専門の相談員が出迎えてくれた。まずはお腹が空いているだろうからと、隣にあるカフェ「おかえりキッチン」でランチをいただいた。それから、個室の相談室でゆっくり話を聞いてもらいながら、自分にあった路上脱出の選択肢を提示してもらった。



自分がこんな状況になるなんて思っていなかったので、これからどうしたいかはすぐに決めきれず、ひとまず、アンドセンターに宿泊しながら、ゆっくり考えることとなった。また、無料で衣服、生活用品をもらうことができた。部屋にはユニットバスもついていて、気兼ねなく過ごせることができた。足を伸ばして寝られるベッドで、久々に熟睡できた。

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一番の希望は「働くこと」。

アンドセンターに滞在しながら、Homedoorが企業や行政から受託する駐輪管理の仕事をすることになった。近い境遇の先輩が、丁寧にやり方を教えてくれて安心だった。
日払いで給料をもらいながら、一部を貯金して携帯を契約し、家を借りて就職活動をすることが目標になった。

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数ヶ月後…自分の家を借りることができた。

家探しから家具や家電の用意、当面の食料を提供してもらい、引っ越し作業まで、Homedoorのサポートを受けることができた。次の仕事先も一緒に探してもらい、理解のある職場で働けることとなった。

相談後も、「おかえりチケット」を使って定期的にHomedoorにご飯を食べに行き、ちょっとした困りごとを相談している。
(上記ストーリーは、実際の相談ケースから再構築した内容です。)

Scene.07

  Homedoorの設立経緯の設立経緯

14歳でホームレス問題に出会い、19歳で起業。
「問題を知ったからには知ったなりの責任がある。」

代表の川口は、通学の車窓から見えるホームレスの人が多い地域「あいりん地区(通称・釜ヶ崎)」のことが気になり、14歳の時に、炊き出しに初めて参加しました。

そこで、決して自己責任でホームレスになったわけではないことを知り、今まで話したこともない人に偏見を持っていたことを後悔しました。その後、問題を知ったからには何かするべきだと、講演活動を開催し、友達を炊き出しに連れて行くようになりました。

しかし、それだけではホームレス問題は解決しません。路上から脱出したいと思ったら、誰もが脱出できる社会にしなくてはと、高校3年生の時に、1枚の絵を書きました。

14歳でホームレス問題に出会い、19歳で起業した。
(写真中央)炊き出しに参加した高校1年生の川口

“とりあえず、あそこに行けばなんとかなる。”

相談に来たその日から、
ゆっくり休める個室が用意されていて、
温かいごはんが食べられる食堂があって、
誰もが働ける仕事がある。

そんな場所がこの日本でたった1つでもあれば、路上で亡くなる命、守れるんじゃないか。

この夢を実現しようと、ホームレス問題の研究が進む大阪市立大学に進学。大学2年生の時に設立したのがHomedoorでした。

高校3年生の時に、1枚の絵を書きました。
(写真)川口が高校3年生の時に描いた夢の間取り図

「川口さんの夢が、僕の夢にもなったよ。」

ある日、Homedoorの支援を受け、ホームレス状態から脱出できた元相談者がそう言ってくれました。

頼れる人も家もお金も仕事もなくて、自分ではもうどうしようもない時、とりあえずあそこに行けば、なんとかなる。

そんな場所を目指して、これからもHomedoorの挑戦は続きます。ぜひ、応援いただければ幸いです。

nenjihoukokukai

  Homedoorの設立経緯のこれから

①路上脱出の選択肢を多種多様に

ホームレス状態から脱出したいと思ったら、その人の特技や性格に合わせて何種類もの支援メニューを提供できることを目指しています。その種類が豊富で、支援体制が柔軟であればあるほど、より多くの人のニーズに沿うことができると考えています。

②「困ったらあそこ!」

ホームレスになりそうという時、どこに頼ればいいかわからない人が多いのが現状です。そこで、「困ったらあそこに行けばなんとかなる。」という認識を広められるように、また、無一文の状態で相談に来られても、その日から安心して住める部屋を用意し、ゆっくりと、その人のペースで困窮状態から脱出できるような宿泊施設の運営を行います。

③ひとりも路上死しない。

日本の路上で、人が亡くなるの? と思われるかもしれませんが、大阪市内でもひどい時には年間200人以上が凍死や餓死で亡くなられたという報告がありました。また、襲撃事件もいまだに起きています。Homedoorでは、ホームレス問題に関する正しい認識が広まり、襲撃が起きないことを目指しています。また、路上から脱出したいと思ったら、脱出できるよう、全力でサポートしていきます。

応援メッセージ私たちも応援しています

  • アクサ生命保険株式会社 代表取締役社長
    安渕聖司さん

Homedoorと出会って、3つの大きな学びがありました。

まずは「意志と行動があれば、少しずつかもしれないけれど、社会は必ず変わる」ということ。
そして、「ホームレスの人たちは、私たちの今の社会がもたらした結果であり、原因はむしろ社会の方にある」ということ。
3つ目は、「一度失敗したら立ち直れないのではなく、何度でも挑戦できる社会を作りたいと思った」ということです。
これからもHomedoorの活動を力一杯応援していきます!

  • 株式会社スピーディ 代表取締役社長
    福田淳さん

川口さんは名言の宝庫です。

当社は、デザインやクリエーションを通じてNPOのブランディングをお手伝いしております。
最初に川口さんにお会いしたときに、物凄い数の支援メニューやお仕事が用意されていたのです。
「メニュー多すぎてわかりにくくないですか?」って尋ねたら、川口さんは「どんな立場の人でも選択の自由が豊富にあることが大事なんです」とキッパリと返答され衝撃を受けました。
そんなキッカケから始まったお付き合いも現在では出前サービスアプリ開発にまで及んでいます。
「知ったからには、知ったなりの責任がある」本当に川口さんは名言の宝庫です。

応援メッセージHomedoorをご支援くださっている企業さま

※2022年度年次報告書より抜粋